大判例

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大野簡易裁判所 昭和36年(ろ)9号 判決 1961年11月30日

被告人 長谷川惣太郎

大八・二・二四生 自動車運転者

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は

被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三十六年四月二十六日午前八時五十分頃福井四す八六七〇号普通貨物自動車を操縦運転中、勝山市下元禄一四の二三番地富田太一郎方前道路において、貨物積卸の為、数分間停車し再び運転を開始するに当り、同所は市街地のことゝて人家が密集している関係上、歩行者等が自動車の傍に寄つて来る虞れがあるので前方は勿論、左右両側に対しても周到な注意をし、各方同時に何等の危険のないことを確認した上、運転を開始すべき業務上の注意義務があるのに拘わらず不注意にも運転台に座したまゝ、前方左右を瞥見したのみで自ら下車して前方死角圏内の安全の確認を怠り、同車直前に山中敏子(当一年)が停立し居るに気付かずして運転を開始した為、遂に左側車輪にて同人を轢き頭蓋骨々折脳挫傷に因り即死するに致らしめたものである。

と言うにあるが

(証拠の標目)(略)

被告人は勝山兄弟株式会社(織物会社)に雇われ自動車の運転業務に従事しており毎朝荷物積卸しの為の人夫と共に、勝山市内の主婦が各家庭において同会社の仕事を内職(通称差入れと言い、ロール巻にしてある糸の先端をオサに通す仕事)にしている関係から材料(千巻)を配り、同時に出来上つた品を集荷する為に普通貨物自動車(小型)で各家庭五十軒位を廻つていたものであるが、昭和三十六年四月二十六日午前八時五十分頃、後部荷台へ人夫南部政栄、坂下節也と材料(千巻)並びに集荷した品を塔載した普通貨物自動車(小型)を運転して勝山市下元禄一四の二三番地富田太一郎方前道路において、人夫二人が同家へ材料(千巻)一本をおろし出来上つた千巻二本を積込む間、約二分乃至五分間位道路左側寄りに、自動車の後部が同家の玄関の入口にあたるようにして停車した際、自分は下車せず作業終了と共に発進するに際し、運転席に座したまゝ前方左右の安全を確めたが下車して前方死角内の安全を確認せず発車し、やゝ右斜前方に進行を開始したゝめ同車直前の中央部付近又は左側寄り付近の死角内の車体に接着していたと認められる山中敏子(満一才一月)に気づかず発進したので、同人を前方(北)によろめかしめ、押倒し、左後車輪にて同人の胸部から頭部を斜に轢き頭蓋骨々折脳挫傷により即死するに致らしめたものであるが、被告人は轢殺時これに気付かず前方約二十米の三叉路に至つた際、後部荷台に居た同乗人夫がこれを発見したものである。

ことが認められる。

よつて右結果発生につき被告人に過失があるかどうかを検討するに、

先づ事故現場及び其他の状況等について、

一、本件事故現場の位置状況

本件事故現場は勝山市街地の中心部の市道であるが繁華街である本町通りより直線にて約二百米東方の裏通りに位置し、人家は密集しているが交通量の少い割合閑散なところで現場道路は巾員四、五米の非舗装路で大体南北になつている約四十米の直線道路で南北端共三叉路となり西側は道路に接し人家が三軒建並び東側は測溝がありその外側に人家が五軒建並び富田太一郎宅は南端より約十七米進んだ西側(左)の二軒目で、北端より約二十二米進んだ西側(右)で、被告人は南端より進入北進し、富田太一郎方前に停車後発進しているので、停車地点の前方は、北端三叉路まで約二十米の見透しのよい直線道路でこの間道路に面して入口のある人家は右側(東)二軒である。

又辻好隆作成実況見分調書によると停車位置の左前車輪付近に長さ二十糎位の平たい石一個があつた事実が認められる。

一、事故車輛並びに運転席からの見透し状況、

本件自動車は昭和三十五年十二月購入にかゝるRK九五型六一年式トヨペツトで長さ四、六六米幅一、六九米高さ一、九八米のエンジンが運転席の下にあり、前方は運転席前面ガラスから約四十二糎出ており、エンジンが前についている車と比較すると前方の短い普通四輪貨物車(小型)で、検証調書によると車内の右側前方にある運転席に座つたまゝ普通の姿勢で前方を見た場合に被告人の視界は、車体前面中央部付近で、バンバーから約七十五糎、左霧燈付近では同じく約九十二糎、又ハンドルを胸にあてゝ首を延ばし出来る限り腰を浮かせる様にすると車体前面中央部付近で同じく約三十二糎、左霧燈付近では同じく約五十六糎の各距離内にいる身長七十九糎(被害者の身長へ靴の厚一糎加えたもの)の幼児はこれを見透すことができないと認められるので発進に際し車体前部中央部付近又は左側寄り付近に接着していたと考えられる被害者の位置は、前部車体死角内になる為、運転席から前方の安全を確認した被告人の視界に入らなかつたものと推認される。

一、事故発生時の状況

事故発生時に被害者の居た位置状態については、証人富田しづ子の証言及び同人の司法巡査に対する供述調書によると、

「パンを買つて家に帰つて来た、その時には敏子は玄関を出た右側のところにいた親と一緒にいたように思う。そこでパンをやり家に入つて電話をかけ、電話が終り、事務所の椅子にすわつて表の道のところを見ていたところへ自動車が来た。菓子をやつてから自動車が来るまでの時間は、二~三分かそれより少し長かつたかも知れませんが十分位までの間です。椅子にすわつたときは、子供の居たところは見えない、警察では自動車が来た時に子供が家にいなかつたので表にいたのだろうといつたのです。その時子供がどこに居たのか知らない。」と、母山中照子の司法警察員に対する供述調書によると「私が玄関の外側で洗濯をしていた三十分位の間敏子は事務所へ入つたり道へ出たり、私のそばへ来たり極く近くで遊んでいた。タライに水を満たそうとして台所(距離約二、三米)へ上りパイプが近くの物置にあつたのでそれを取り出す際玄関先で姉(しづ子)が敏子にマンマを上げようという声が聞えた。パイプを取出して蛇口につけたがうまくいかなかつたので玄関先にいると思う姉にして貰おうと思いましたが丁度姉が千巻を運んで来た人夫らしい人と玄関口で話をしていた、私は自動車の来たのは全然知らなかつた。後から考えると物置にいるときか、蛇口にパイプをつけようとしているときに自動車が来たのではないかと思う。」と各述べており、自動車の停車及び発進時に被害者を目撃したものがない。又辻好隆作成実況見分調書によると、被害者がその頃持参していた菓子(カステラパン)屑が車体前部左霧燈のガラス及び中央ナンバープレート中央付近表面に付着していた事実が認められるので被害者は自動車発進の際車体直前中央付近又は左側寄りの運転席からは死角圏内の車体に接着していたものと推認される。又被告人の供述によると、被告人は富田太一郎方前に二分乃至五分間停車した際は、運転席に座したまゝにて発進に際し前方左右の安全を認めて発車し、本件事故現場道路南端へ進入時より停車及び発進し北端三叉路迄進行した際後部荷台に同乗の人夫の合図により停車し、下車する迄幼児の姿を目撃していない。又南部政栄、坂下節也、富田しづ子の各司法警察員司法巡査に対する供述調書によると、

同乗人夫二名も幼児を目撃しておらず又その頃本件現場付近には通行人その他人影がなかつた事実を認めることができる。

又被害者を轢いた際のシヨツクについて、被告人は軽い「シヨツクはあつたが、これは停車位置左前輪付近にあつた石の上に乗り上げたものと思つたので別に気に止めなかつた」と述べており、又積荷がごとごとしていた状況も認められるので斯様な関係から事故に気付かなかつたものと推認される。

一、被告人に関する事情、

被告人の供述並びに証人富田しづ子の供述によれば

被告人は約一年前より毎日朝八時から九時頃にかけて、自動車を運転して勝山市内約五十軒の家庭を廻つているので子供の居る家は知つており、又地理にも詳しく、富田家は生命保険の事務所になつているので平常大人はよく出入している事実は知つていたが被害者のような幼児は同家に居ないこと及び本件事故現場付近において幼児が一人で自動車の前面に来るというような事態を未だ目撃した事実はなかつた。

又被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書によると、昭和二十二年大型第二種免許取得後今日に至る迄事故を起した事実がなく、昭和三十三年頃には十一年間無事故というので表彰を受けている事実を認め得る。

一、被害者に関する事情

富田しづ子及び山中照子の各司法巡査、司法警察員に対する供述調書によると、

被害者山中敏子は、父母と共に神戸市に住居を有するものであるが、母照子と共に事故前日の四月二十五日午前十時頃より照子の姉富田しづ子宅に来訪二、三日滞在した後帰郷予定のものであつた。又被害者は誕生間もない幼児であるが誕生前より歩行をしており、母及び姉しづ子においても危いからという事で看視を怠らない様に気をつけていたのであるが少時の油断から本件事故となつたものであることを認め得る。

以上が本件事故発生に関する具体的状況であるが、一般に自動車運転者たるものは発進に際し自動車の周囲の状況を検分し自動車の周辺にある人や物に対する安全を確認してこれらの車体を接触させないようにして発進すべきであるという安全確認を内容とする注意義務の存在することは否定し得ないが、個々の事態について注意義務を確定するについては、危険状況の一般的予見可能性が考慮されなくてはならず当時の具体的状況上結果発生が客観的に予見できる可能性が高ければ高い程、より厳格な注意義務が要求されるので状況に応じては下車して確認するとか、座席に伸び上りあるいは窓より首を出して確認する等しなければならないが、客観的に結果発生を予見できる可能性が低くなれば注意義務の範囲も客観的にそれに応じて縮少され右のような措置までは必要でなくなる場合があり、客観的に結果発生を全く予見できないときは、右のような措置をとる必要は全然なくなり、通常要求される程度の安全確認義務で足りるものであり、結局危険状況の客観的予見可能性如何を基準として社会相当な注意義務が決定せられなければならない。

そこで以上に述べた事実から考えると、被害者は自動車の停車約三十分前から富田家の玄関を出た右側のところで洗濯をしていた母照子のそばにいたり、家の付近で、出たり入つたりして遊んでいたのであるが、自動車が本件道路南端へ進入寸前に母照子は家の中へ入り、母の姉しづ子は事務所に居た、又その頃通行人その他人影がなかつた。被害者は母照子が家へ入つた直後、自動車停車位置左側付近の家蔭か或いは運転席から確認不能な個所に、しゆん時の間居た時に、自動車が進行して来て停車した。そこで被害者は運転席からは死角圏内にあたる車体左側部分より前部へ、同乗人夫も確認不可能な間に進入したものと推認され、僅か二分乃至五分間の停車中に幼児が一人で前方死角圏内に進入せるやも知れないことを予想し得たような状況は何等認められず、本件結果発生の一般的予見可能性は殆んど皆無で、また被告人自身予見していない。そこで被告人は本件発進に際しては運転席から前方左右を注視した限度で、安全と判断して発車することで足り、運転席から死角圏内にあたる自動車前部中央部付近又は左側より付近に接着していたと認められる被害者敏子を見極めることができなかつたものであり、この場合被告人自ら下車して車体の死角内を確認するというようなことまで注意義務の内容に入れることは相当と考えられない。

その結果本件発進に際し、前記事実認定のとおり被告人は運転席から相当の注意を払つていたものと認められ、前方左右を瞥見したのみで自ら下車して車体の前方死角圏内確認義務を怠つたものとして過失を認める証拠がない。

そこで本件は自動車運転者にとつては不可抗力による事故であり、被告人には注意義務違反はないものと認定する。

以上のとおり本件公訴事実は被告人の業務上過失によるものと認むべき証明がないから刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をなすべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 西井康次)

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